1990-06-26 第118回国会 参議院 文教委員会 第8号
私は先日の委員会でも、北海道の社会教育に携わっておられる現場の関係者の方々のお話として、この法案ができることによって、地域住民に密着した市町村教育委員会を主体とした社会教育から、都道府県の知事部局や国主導の社会教育へと変えられてしまう、そして、今まで苦労して築き上げてきた社会教育そのものが変質あるいは後退させられてしまうのではないかという大変な危惧を持っておられることを申し上げました。
私は先日の委員会でも、北海道の社会教育に携わっておられる現場の関係者の方々のお話として、この法案ができることによって、地域住民に密着した市町村教育委員会を主体とした社会教育から、都道府県の知事部局や国主導の社会教育へと変えられてしまう、そして、今まで苦労して築き上げてきた社会教育そのものが変質あるいは後退させられてしまうのではないかという大変な危惧を持っておられることを申し上げました。
先ほども参考人の方がおっしゃっておられたように、戦争中における社会教育そのものは戦争へ駆り立てるための内容であったし、そしてそのようにまた国家総動員的なものにされておったわけですね。
現在、その武道につきましても、武道のみならず体育・スポーツについて、社会教育の面で一般の地域等で指導者を求めておることは事実ですから、それなりにただ指導者養成だけでなくて、日本の社会教育そのものの受け皿をどういうふうにつくっていくか、たとえば体育やスポーツあるいは武道にしても、その施設をどういうふうに地域につくっていくかということと並行してこういう大学の構想が生まれてくるならば、まだわかるのですけれども
特にいままで成功しているといいますか、私たち、これは非常にうまくいっているなと思う例が幾つかございまして、社会教育なんかの場で幾つかの事例を知っているわけですけれども、いま社会教育そのものが余り重んじられないといいますか、非常に優秀な企画を立てていらっしゃるのにもかかわらず、そこに参加される方というのは極限されているというような事態があるのじゃないかと思うのです。
これに対しても抵抗があるのに、これは民主的にやらなきゃならぬ民主教育、この真髄である社会教育そのものに、一力の通知で来ている研修の者を拘束するというふうな中に何の教育の発展がありますか。 もう一遍大臣に聞きますけれども、細かいことはこれは言っていませんけれども、本当にやっぱり変えるべきことがあれば変えなきゃならぬと思うんですがね、大臣どうです。
ただ、先生がおっしゃったように、何かその研修の内容がいわばきわめて統制的なものであるとか、ある特定の考え方でいくとかということではなくて、やはり社会教育そのものが自主的な住民の関心というもの、あるいは意欲というものを育てていくという基本的な性格を持っておりますものでございますので、それを私どもの場合でも決してそういう何か、国がかちっと統制するというような考え方でこの研修というものを考えて運営しているわけではないわけでございますので
社会教育そのもののあり方についてきちっとしたその考え方というものが確立をされており、そしてその中で国立なり特殊法人なり、その社会教育に提供される施設というものが設置をされているということであれば、そしてその運用というものが本当に民主的に行われるというものであるならば、私はその二つの間に特別の区別をする必要はないのではないかという気さえするわけでありますが、先般参考人の御意見をお聞かせをいただいたときに
実はその発達課題についてお聞きしながら、人間の発達の問題とそれから日本の社会教育そのものの発達の問題と、何か頭の中でだんだんダブってまいりまして、実はいま社会教育の問題、最近になってクローズアップして取り上げられるようになりましたが、しかし、やはり何かその社会教育に対する考え方というものがまだ国民的なコンセンサスとして形成されていない。
○砂田国務大臣 社会教育そのものが、みずから行うということを本旨にしておりますから、その点は変わりはありません。
というのは、社会教育そのものは、原点はそれを担当する行政としましては市町村が前面に出るべきだと思っております。その活動そのものはやはりボランティアであるとかいろいろな人たちの活動であろうと思います。
社会教育法の再検討、そして社会教育そのもののこれからのあり方についての抜本的な対策、再審議、そういうふうなものについて格段の御検討をぜひお願いしたいのと、それから学校等、教育現場におけるこういう設備、備品等につきましては、私が指摘しなかった問題でまだまだ——人口急増都市の問題を取り上げましたが、僻地等でまだたくさん問題があろうかと思います。
一つは心身が健康であるということはもちろんでございますが、こういう社会教育そのものに活動的であること、意欲を持っておることというのが一つございます。
○吉里政府委員 あるいは言葉が足りなかったかと思いますが、この事業には二つのタイプがございますから、主催とそれから各団体のものがございますから、十分その道は、先ほどの受田先生のお話ではございませんけれども、社会教育そのものが開かれておりますし、この会館も開かれたものにしていくつもりでおります。
○政府委員(吉里邦夫君) 関係者から私の手元にもその旨の御要望なり、団体からもいろいろな要望が来ておりますけれども、社会教育そのものの本質から考えまして、やはり市町村が固有の事務として取り組む姿勢が大事ではないかと思っております。しかし、財政的な裏づけというものは、いまのシステムによりますと、地方交付税の中で補完をしていくということでございます。
しかし、また一方、子供を見詰めなきゃならぬという必要性もあるわけですが、それに比べて、社会教育のほうでは国のほうで定めている教育内容の基準がないわけでございまして、住民のほうを見て仕事をしない限り社会教育そのものが成り立たないわけですから、社会教育に従事する人々は、現に住民の中から起こってくる学習要求、それを受けとめなければ仕事になりませんし、それを受けとめて仕事をしていればおもしろくてしかたがないというような
○今村政府委員 社会教育主事の講習会の内容として同和教育を入れるようにという御希望について言及がございましたが、社会教育そのものが学校教育と非常に違います点は、個人の自発性を尊重するとか、地域の特殊性を尊重するとかといったことで、初等中等教育関係の学習指導要領に匹敵するようなものを持たないというのが、社会教育の一つの特色でございます。
○政府委員(宮地茂君) これはいわゆる社会教育関係団体への補助金というのは、この社会教育法を改正するときにもきわめて憲法上の問題で質疑が行なわれた過去がございますが、いわゆる公の支配に属しない教育そのものに補助金を出すということは憲法に触れる、しかし社会教育そのものではなくて社会教育に関するものには補助金が出せるといったようなことでございますので、教育そのものをおやりになると、それが幾らそばから見てよくても
しかしながら、行政の対象として社会教育そのものを見ていくならば、予算項目の中に明らかにありまするように、意図的に教育体制をつくる組織的な教育ということになるわけであります。そこに現実とのズレの問題があるという具体例を私はお話しを申し上げたわけであります。というのは、婦人学級をおつくりになる。その間に自主的な団体として婦人学級が育ってきた。
○二宮委員 青年の家であるとか公民館の運営であるとか、あるいは青年団、婦人団体に対する指導であるとか、今の青年学級に対する指導であるとか、一方では防犯だとかあるいはいろいろな問題を強く言いながら、社会教育そのものが総花的な、あまりに熱意の入らない格好で行なわれているというこの実態は、私はその局にあるものは相当にその内容を把握をして十分な指導助成をやらなければならない問題であろうかというふうに考えます
そういう点から、私たちはどうしてもやはり社会教育そのものの本質にわれわれの思いをはせなければならぬと思うわけであります。 そのために、いろいろ各方面の文献もあさってみましたが、その一例としまして、私の非常に感銘を受けたものは、東大教授の宮原誠一氏——社会教育学界のオーソリティである宮原誠一氏の所見であります。
これはまあ一般の社会教育そのものを、なるべく広くしようという趣旨で、立法当時からそういう書き方をいたしておると思いますが、ただ先ほど申しましたように、憲法八十九条の公けの支配に属しない教育の事業の解釈でございます。これは社会教育法あるいは教育基本法というような、そういった定義とは別個に、憲法の解釈上そういうものが出てきているわけであります。
十二条に不当に干渉すべきでないということが入れられているにかかわらず、十三条を起して補助金問題を拘束をしているという点は、単に憲法違反——憲法の問題もあるけれども、社会教育そのものの推進の上に必要だから、私は、そういうように出てきているわけなんです。これはそういうような意味も持っておって、重要な十三条を実は入れたということは、ただ軽い意味で十三条が書かれてあったわけじゃない。
非常に今の社会教育そのものの充実をこいねがっている人たちであるのにという点において、全く共通の場を持ちながら、なおかつそのやり方として方向が違う、考え方は違っていくべきではないか、こういう意見なのであって、今後一つそういう点については審議を通してやはり大臣にもお考えをいただき、また局長にもお考えをいただいて、とるべきものがあり、また直すべきものがあり、また考慮すべきものがあるということであれば、十分
こういうものが私は社会教育そのものを振興するはずの建前だというふうに考えているわけでございます。ただし、どういうわけでございますか、これまで大学におきます社会教育関係の講座というものは、ほかの学校教育に比べまして、あまり拡充されないで済まされてきた憂いがございます。実際にはそれほど充実しているとは言えないのであります。